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塩水橋〜長尾尾根〜新大日〜塔ノ岳〜丹沢山(宿泊)
〜蛭ヶ岳〜丹沢山〜堂平〜塩水橋

<2005年 11月 18日(金),19日(土)>  NO.109

塩水橋 : 08:17 (  430m)
天王寺橋 : 08:56 (  550m)
札掛分岐 : 09:52 (  700m)
新大日 : 12:25/12:50 (1,340m)
塔ノ岳 : 13:35/14:09 (1,491m)
丹沢山 : 15:15 (1,567m)
  [行動時間]  : 6時間58分 「みやま山荘」宿泊
丹沢山 : 06:40 (1,567m)
蛭ヶ岳 : 08:45/09:37 (1,673m)
丹沢山 : 11:09/12:05 (1,567m)
堂平分岐 : 13:00
堂平 : 13:00 (1,200m)
林道(堂平) : 13:43
塩水橋 : 15:05 (  420m) 藤野「五感の湯」へ立ち寄り。
  [行動時間]  : 8時間25分 [同行者]:Mさん     [車]


丹沢での初めての山小屋泊まり。
8年前超混雑の北岳以来、尾瀬を除いて全てテント泊だった。
一年前に新装なった「みやま山荘」に宿泊。
小屋番さんともいろいろ話しが出来、山小屋の良さを満喫できた。
塩水橋から長尾尾根で、新大日,塔ノ岳を経由して丹沢山へ。
二日目は、蛭ヶ岳をピストンした後、堂平経由で塩水橋へ戻った。



[関連ページ]:<NO.069 2004-10- 2 塩水橋〜堂平〜ブナ林〜稜線〜丹沢山〜塔ノ岳〜長尾尾根〜塩水橋>
[関連ページ]:<NO.073 2004-11- 3 堂平〜丹沢山〜蛭ケ岳>
[関連ページ]:<NO.095 2005- 6- 5 新緑の堂平>
[関連ページ]:<NO.139 2006-10-21 塩水橋〜弁天杉〜弁天尾根〜円山木ノ頭〜堂平>
[関連ページ]:
<NO.166 2007- 5-20 塩水橋〜新緑の堂平〜稜線〜円山木ノ頭〜弁天尾根>


    
8時に塩水橋に到着。
本谷吊橋を目指して歩き始める。
紅葉が美しい。
途中の橋のところのカエデは、未だ緑だった。

突然の甲高い鹿の泣き声に驚く。
川の向かい側の数頭の鹿がいた。
 

←本谷吊橋を渡り、林道側を見る。
 

本谷吊橋から札掛分岐への道。
尾根へ出る手間のほぼ水平道路は、落ち葉が敷かれ、朝日が輝き美しい。

この道は、思ったより良い道だった。
 

札掛分岐からの登り、
前半は、暗い檜林の中の登り。
後半から自然林となり、きれいな道となる。
 

落ち葉が敷き詰められた道に、少し紅葉が残っているのが良い雰囲気だった。
 

←木道の円柱、外側のみパッキンのように
   氷が出来ているのが不思議。
   このあたりの霜柱もきれいだった。

新大日に到着。
初めて太平洋側が見えたが、残念ながらかすんでいた。
平日にも関わらず、このあたりから人が増えてくる。
なぜかほとんどが単独の男性。
 

休憩の後、塔の岳へ向かう。

←青い葉をつけたままの
   「まめぐみ」の木。
 

最後の登りを経て、塔ノ岳に到着。
少しかすんでいるものの、360度の展望が開けていた。
 

まるで飼われているかのような鹿が2頭いた。
山荘には猫もいた。
 

丹沢山への途中にも、2頭の小鹿をつれた雌鹿がいた。
ほぼ予定とおり、3時過ぎにみやま山荘に到着。
予約は、我々2人のみ。
後から名古屋の男性(百名山挑戦中)1人が来て、宿泊客としては3人となった。
山道整備の工事関係者が5〜6人宿泊していた。
消灯は8時30分との事であったが、それを過ぎて小屋番さんと談話。
窓からは、夜景もよくみえた。
山荘も空いていれば良いものだ。
しかし、明日の土曜は、定員30人に、50人の予約が入っているとの事だった。
 

二階の寝室の窓から、日の出を見る。
オレンジ色に輝く東の空が見える。
残念ながら富士山には雲がかかっていた。
山荘の周りは、思っていたより寒くない。
(−3度くらい?)
6時に朝食の後、蛭ヶ岳へ向かって出発。
 

←蛭ヶ岳へ向かう道から。

東側の海がオレンジに輝いてきれいに見える。
房総半島から東京湾,江ノ島がはっきり見え、東京湾に浮かぶ船がキラキラと輝いていた。
富士山にかかっていた雲も、徐々に少なくなっていった。
 

蛭ヶ岳山頂で、360度の展望を楽しむ。
 

丹沢山へ戻る登山道より。
富士山と蛭ヶ岳を振り返る。
 

みやま山荘にて、カレーライスで昼食。
山荘の周辺には、多くの登山客がいた。

宮ヶ瀬方面へ向かい、35分で堂平への下降点に到着。

←静かな堂平に入る。
   落ち葉と自然林が良い雰囲気だった。
 
堂平のブナ
 
堂平のブナ
 

紅葉の林道を下り、塩水橋に到着。
天気にも恵まれ、良い山行だった。

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