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東野〜姫次〜蛭ヶ岳〜丹沢山〜塔ノ岳〜鍋割山〜二俣〜大倉
<2006年 1月 8日(日)>  NO.116
東野バス停   : 07:22 (  410m) 三ヶ木発6:20 月夜野行き
登山道入口 : 08:10 (  720m) 沢コース
稜線登山道 : 09:02 (1,245m) 焼山からの登山道に合流
姫次 : 09:41/09:58 (1,420m)
蛭ヶ岳 : 11:29/11:59 (1,673m)
棚沢ノ頭 : 12:44 (1,614m)
丹沢山 : 13:33 (1,567m)
竜ヶ馬場 : 13:53/14:03 (1,504m)
塔ノ岳 : 14:35/14:38 (1,491m)
鍋割山 : 15:30 (1,273m)
後沢乗越 : 16:05 (  800m)
二俣 : 16:38 (  500m) 林道の途中で日没
大倉バス停 : 17:37 (  290m)
[行動時間] : 10時間15分 [単独]      [電車・バス]


鬼ヶ岩から丹沢の山並みと富士山


2006年最初の山行。
道志・東野から入り、蛭ヶ岳,丹沢山,塔ノ岳,鍋割山をめぐるロングコースを選んだ。
快晴に恵まれ、気持ちの良い山行だった。



[関連ページ]:<NO.111 2005-12-23 東野(尾根コース)〜蛭ヶ岳〜檜洞丸へ>
[関連ページ]:<NO.104 2005-10-23 焼山〜蛭ヶ岳〜丹沢山〜塔ノ岳〜大倉へ>


    
6時50分三ヶ木発月夜野行きのバスの登山客は、
私を含めて3名。 3人ともに単独。
東野バス停から左に行き、12分で釜立林道へ入る。
小学校名が記載された、「右へ」の看板あり。
尾根コース分岐点に2台の車が止まっていて、男性一人が出発の準備中であった。
今日は、更に林道を直進して、沢コースから登る。

←うっすらと雪が積もった林道
 

←沢コースの登山口

登山道へ入るあたりは、新しい立派な林道であった。
この先はゲートがあり、閉まっていた。
ここにも、数台の駐車スペースあり。
 

←凍りついた沢

登山道に入ってすぐ、堰堤に凍った氷柱が見える。
登山道へ入ると、少しずつ雪が多くなってくる。
しばらく沢沿いの後、沢から離れて左へ上がっていく。
木々の隙間から、道志・中央線の山々が見えるが、展望地点はない。
最後は、ピークを少し下る感じで稜線上の登山道へ出た。
 

登山道の積雪は10cmくらい。
太陽の陽が指して気持ちよい。

←姫次へ向かう登山道
 

9時41分に姫次に到着した。 
先日の尾根コースが9時35分の到着であり、ほぼ同じ。
檜洞丸方面,富士山の景色が広がっていた。

←姫次からの展望

登山道に自転車の轍があったが、ここに自転車がおかれていた。それもマウンテンバイクでなく、ドロップハンドルのスポーツタイプであったのに驚く。
 

←地蔵平

踏跡の無い地蔵平をめぐり、蛭ヶ岳へ向かう。
途中でアイゼンを付けた。
 

北面の雪は多いが、
展望の木道.崩壊地に雪はなかった。

←蛭ヶ岳へ向かう階段を振り返る
 

蛭ヶ岳手前の崩壊地
 

←崩壊地からの展望
   檜洞丸に富士山が重なる。
 

←蛭ヶ岳山頂を見上げる

最後の登りから仰ぐ真っ青の空が美しい。
 

蛭ヶ岳山頂は快晴。
白い雪と、真っ青の空が美しい。

←蛭ヶ岳山荘
 
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蛭ヶ岳山頂より丹沢山方面
 
蛭ヶ岳山頂より檜洞丸と富士山
 

蛭ヶ岳から丹沢山へ向かう。
風も無く、気持ちよい稜線がつづく。

←鬼ヶ岩の頭
 

丹沢山に近づくと、少し雪が増えた感じ。
丹沢山山頂の積雪は10cmくらい。 

←丹沢山山頂

休憩せず、そのまま竜ヶ馬場へ向かった。
 

竜ヶ馬場
 

←塔ノ岳山頂

塔ノ岳に14時35分に到着した。
大倉へ真っ直ぐ下るか、少し迷ったが、
鍋割山へ向かう事とした。
 

金冷しから一旦下って、大丸へ登る。
このあたりからブナが美しくなる。

←鍋割山へ向かう登山道

歩いてきた蛭ヶ岳から丹沢山への山並みが良く見えた。
 

←鍋割山山頂

3回目にして初めて展望のある鍋割山へ到着。
ここも休憩せずに、二俣への下りに入った。
後沢乗越へ長い下りの後、左の沢側へ入ると、ところどころに雪があった。
 

16時38分に二俣着へ到着した。まだ明るい。

←二俣からの林道
 

←夕暮れの山並み

大倉への林道を行く途中にだんだん暗くなり、最後は真っ暗となった。
懐中電灯を出して、暗い林道を進む。
林道にほとんど雪は無いが、沢を右カーブする部分がところどころアイスバーンとなっていた。
右手下に明かり(病院?)が見えた後に、真っ暗な大倉への道へ入る。
17時37分に大倉へ到着。
生ビールで一人乾杯。

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