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青柳崖線(あおやぎがいせん)
根川貝殻坂橋〜ママ下湧水公園〜城山公園

<2017年 6月 23日(金)>  NO.004



立川公園の西側、根川貝殻坂橋からスタートして、城山公園まで歩く。
段丘の段差(崖)を、「ハケ」や「ママ」と呼び、これが連続して続くのが、崖線(がいせん)との事。
青柳崖線(あおやぎがいせん)は、柴崎体育館駅付近で立川崖線から分岐して、谷保天満宮付近でまた立川崖線に合流している。
 
根川貝殻坂橋について
甲州街道 は、江戸時代初めの慶長8〜10年(1603-1605)に整備された。初め、江戸日本橋と甲府(山梨県)を結んでいたが、後に下諏訪(長野県)まで延長された。この甲州街道が多摩川を渡る「渡し」は、何度か移動され、それにともなって甲州街道の道筋も変わったことが知られている。そのうち、慶安年間(1648〜1651) から貞享元年(1684)まで使われていたのが「万願寺の渡し」である。台地の上をたどってきた甲州街道は、国立の青柳で段丘を下り、多摩川の河原に下りた。この段丘を下る坂を、昔は「貝殻坂」と呼んでいた。(現在は、真澄寺の西側、富士見町五丁目にある番場坂を貝殻坂とも呼んでいる。) 貝殻坂の名は、江戸時代に発行された「四神地名録」「武蔵国名勝図絵」「新編武蔵風土起稿」「武蔵野話」などの書物の中にみられる。そのうち、文政11年(1828)に完成された「新編武蔵風土起稿」の柴ア村(現在の立川市)の項には、
「貝殻坂、青柳村と当村との界にあり、土中をうがてば蛤の殻夥しく出づ。土人の話に古へはこの辺も海なりしと伝ふ。」 と記されている。
よって本橋を貝殻坂にちなみ根川貝殻坂橋と名付けるものである。
 

橋を渡って、国立市側にある「貝殻坂」の表示。
ここは、立川市と国立市の境界。
貝殻坂は橋を渡って直進して、都道256号線(甲州街道)までの約130mの坂との事である。
ここでは、右折して、多摩川に沿うように市街地に入る。
 
緑川排水樋管(ひかん)
 
緑川排水樋管の多摩川側
 

緑川排水樋管のすぐ脇に、府中用水の水門がある。
日野橋の下流で取水した府中用水は、左の写真の水門で流量調整されて、樋管施設の下を通り、流れていくようだ。
写真の左下へ下る水は、多摩川へ戻る水。
 

いつもは右折して、多摩サイへ出る交差点を、今日は直進する。
すぐに、老人ホームがある。
老人ホームに沿うように左折すると、「ママ下湧水公園」があった。
 
きれいな水が湧き出している
 

 
奥に木の階段が見える
明らかに段丘であり、段丘下から水が湧き出している。

 

 
木の階段を上がったところ
 
木の階段を上がったところ
 

階段を下って、段丘の下へ戻る。
けっこうな段差があるのが判る。
 
段丘の下を湧水の流れに沿って更に西へ
 
ママ下湧水公園の西端
 

正面の道路は、国道20号線と都道256号線(旧国道20号線)を結ぶ都道20号線。
橋の名前は、「ママ下橋」。
 

「ママ下橋」の下をくぐり、道路の反対側へ。
田園風景が続いている。

都道20号線に出て、少し南へ行くと保育園がある。
保育園から府中用水(谷保分水)沿いに、のどかな景色の中に入って行く。
 
保育園から府中用水(谷保分水)に沿って西へ
ビニールハウスと「矢川おん出し」が見える

 
「矢川おん出し」写真右側の水路が矢川。
左側の水路が清水川(ママ下湧水からの流れ)。

 
ビニールハウスに「朝顔の里」の看板
 
府中用水(谷保分水)の流れ
 
府中用水(谷保分水)の流れ
 
府中用水の流れ
前方にヤクルトの建物が見えてきた

 
正面にヤクルト中央研究所、右手に中央自動車道
中央自動車道の脇に、こんなのどかな風景があったとは

 
ここは、明治26(1893)年までは、神奈川県だったとの事。
それを物語る資料で、本物は郷土文化館にあるらしい。
これは、設置されていた事を示す説明板。

 

正面のヤクルト中央研究所のところで左に曲がり、再び、
青柳崖線の方向へ向かう。
 
青柳崖線沿いの遊歩道
右手はヤクルト中央研究所

 
ヤクルトさんの敷地内に整備された歩道
だれでも通れるが、自転車は降りて通る

 
城山公園
 
城山さとのいえ
 
このあたりは、区画整理事業で整備されたようだ
 
最後に、「くにたち 農の風景そぞろ歩き」の案内板
 

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